2012年6月2日土曜日

小梅が届き…

木曜日、福岡八女の小梅が届きました。
昨日その小梅で、カリカリ漬けを作りました。
大梅だと1週間くらいかかるのですが、小梅は2日後ぐらいから食べられるようです。
楽しみだァ \(^o^)/


2012年5月30日水曜日

空の鳥を見なさい

昨日の続きです。
私はやすらぎの歌11集から「一羽の雀さえ」と10集の「いたむ葦でさえ」を賛美させていただきました。
朝のディボーション箇所はマタイの福音書6章だったので神さまから特別に語りかけをいただきました。
賛美を通してお伝えしたかったことが、まさしくタイムリーにみことばを通しても語られたのです。

「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。
けれども、あなたがたの天の父がこれを養ってくださるのです。あなたがたは鳥よりもすぐれたものではありませんか」マタイ6章26節

昨日聴きに来てくださった方の娘さんから、お電話をいただきました。
「聴くのもいいけれど、ご自身で歌われる方がもっと素晴らしいでしょうね!」
実は私がお誘いしていたのは、娘さんの方でした。

また、チェロを弾いてくださった方は、「優しい歌声に心が和みました。」との感想とともに、やすらぎの歌CDも購入してくださって、「次回のために練習します。」と言って帰られました。

「♪♫ありのままの あなたでいい その力でいい 弱さの中 主の力が現されるから♪」と歌った
まさにそのとおり、主が祝福してくださって、栄光を現してくださいました。
ハレルヤ! 感謝します。


2012年5月29日火曜日

あざみ野ゴスペルコンサート

あざみ野でのコンサートをしました。
Aさんがスポーツクラブで知り合った音楽好きの方が、楽器を携え来てくださいました。
バイオリンとチェロです。
賛美隊「アーモンドツリー」全員で賛美しているところを写せなくてとても残念です。
賛美隊「Almond Tree」はやすらぎの歌8集「大きな愛」や11集「心を注ぎ出して」をパートに分かれて賛美しました。「アメージンググレース」では、チェロとバイオリンの音色の中でこの曲の誕生秘話もお話することができ、恵まれました。

Aさんが「Song」という名前で立ち、2集から「十字架に主イエス」など賛美しました。
チェロとバイオリンも加わって素敵です。観客に写っているのは私の母です。
教会に最初に与えられた賛美グループは「His Sheep」です。7集の「あなたはだいじょうぶ」がお箱です。


2012年5月28日月曜日

良い地に落ちた種

小さな卵型ポットから、芽を出したイタリアンパセリ!
その土は良い土で、太陽の恵みと毎朝注ぐスプーン2杯の水によってどんどん成長していきます。
あれ??れ? ポットの右内側に注目してください。
ポット内ですが、土の外側から芽を出した子がいます。
種を蒔いたのは私です。
聖書にはこんな譬え話がのっています。
「種を蒔く人が種まきに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった、すると、鳥が来て食べてしまった。」(マタイの福音書13章3、4節)
岩地に落ちた種、いばらに落ちた種もあったと書かれています。
種君! しっかりと囲いの中だったからよかったね! 小鳥に食べられる心配はないので安心だ!
でも、どうやって根を張ってるのかな?
土の薄い岩地に落ちた種は土が深くなかったのですぐに芽を出したが、根を深く張れないので枯れてしまい、
茨の中に落ちた種は、茨が伸びてふさいでしまった。
そして、「別の種は良い地に落ちて、あるものは100倍、あるものは60倍、あるものは30倍の実を結んだ。」
のです。


2012年5月27日日曜日

癒された足で教会へ

今朝、起きがけに布団の中で「痛い!痛い!」と言って左足膝からふくらはぎにかけてさすっている母。
すぐに、その左足膝からふくらはぎにかけての癒しの祈りをした。
もう8時を回っていた。私は支度を終え、そろそろ教会へ行こうとしていた時だった。
癒しの祈りをしたあと、母は私に「どこへ行くの?」と聞いてきた。
「日曜日だから、礼拝にいくよ! 一緒に行こうよ!」という私に、母は「留守番しているから行っておいで」と答える。それはいつものことだ。
しかし… そう言いつつも母は起きてきて、着替えを始めた。もう足は痛くないようだ。
朝ごはんをスルーさせて、何とか車に乗せ、急いで教会に向かった。
教会は恵みで満ちている!
苦しかった2週間が許されたが、先週の聖日礼拝は夫の協力もあり、母を教会に連れていくことができた。
母は公園ライブにも付き合ってくれた。そして回復の一週間を、主にあって取り戻すことができた。
ちなみに夫の協力とは?
「お婆ちゃん、教会に行くといいよ! 教会には人が大勢いて、いろいろな話ができるから、頭の体操にもなるし、行ってくるといいよ!」

そして、今週も聖日礼拝を守ることができた! ハレルヤ!
教会は神さまの恵みで満ちているところです。
癒し主なるイエス様に感謝します。

教会では、姉妹たちが私が行く前から集まって、礼拝の準備祈祷を捧げてくれています。
今日もその姉妹たちに支えられ、礼拝が守られた事、主に感謝します。








2012年5月26日土曜日

親が子の手を求めるとき 翻訳は田中邦夫さん

この本は国会図書館に勤務する田中邦夫さんが翻訳された本です。
自らも年取った両親を持つ中、介護方針に行き悩んでいる時に、アメリカ議会図書館のデータベースから見出し、クリスチャンの柴崎由良さんと分担して翻訳したものだそうです。

老人はあるシンボルに依頼して生きるものであること、
やがては安全と安心が最大の価値となること、
老人自身の望む形での介護が必ずしも最上の方法でないこと、
老人が些細なことにこだわるのは、それによって状況を支配する力を再獲得しようとする隠れた意図があることなどなど

なにより、神さまのみわざについても素晴らしいあかしが載せられている。
「マッケンナ家の詩篇」にまつわるあかし。
恍惚の淵に沈んでいると思われた母親が、息子の葬儀のとき突如として賛美歌を歌いだし、聖書のみ言葉を朗読したりするなどなど、人間と神さまとの計り知れないつながりをおもわせる。
私も読んでいて、なるほどそうだな!と思わされる事がいくつかあり、また、そういうことなんだ!と分からされる事柄があり、自分自身の心の整理も出来てきたような気がしています。

さて、母の人生のシンボルとはなんだろうか?
「親たちが一度シンボルを失うと、事実上人生に見切りを付けたことになる。」そして、「もし、親たちとの日々をもう一度体験することができるとしたなら、私は人生のシンボルにもっと敏感になるだろう。」「人生のシンボルが彼らに対してもつ意味を理解し、その理解に基づいて行動していれば、彼らにとっての意味を守り、私たちの関係は深まったであろう」「そのような理解によって、私はまた、それぞれの親の自立の不可欠のシンボルを見分けようとするだろう」とこの本には書かれています。