2013年3月31日日曜日

アズサストリート

1906年にロサンゼルスのアズサ通りで起こったリバイバルで、
聖霊運動の発祥の地です。
リトル東京のそばにあり、日米文化交流センターがあります。
聖書の使徒の働き2章にこう書かれています。
「すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり・・・
すると、みなが整霊に満たされ、聖霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」
聖霊体験をしたわけです。
聖霊の満たしを受け、聖霊様が内に住んでくださっていることを知ることは大切です。
今回もここで賛美をしました。
ゴスペルシードの三本松さんのリードで、そこにいた人たちみんなで賛美しました。
賛美していたらずっと立ち止まって聴いてくださるかたが!LA在住の日本人のかたでした。
「賛美はいいですね!感動しました」といってくださって、木曜日の集会にも来てくださいました。



2013年3月30日土曜日

ただいま! 帰ってきました。

 
 
 

お祈りを感謝します。感謝と賛美とリバイバルキャンプに行ってきました。
25日成田発18:50シンガポール航空12便、帰りは29日ロサンゼルス発15:1511便。
成田着は30日19:05(実際には予定より20分ほど早い到着でした。)
教会からはわたし、娘、そしてSさんの3人の参加でした。

2013年3月25日月曜日

今日からアメリカに!















「感謝と賛美とリバイバルキャンプ」に行ってきます。今回は主の憐れみと、特別の恵みによって、行けることになりました。

感謝です。語られたみ言葉は
「永遠の愛を持ってわたしはあなたを愛した。
わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される」
それでは主に期待して、行ってきます。





2013年3月22日金曜日

今日は少し花冷えする日でしたが、桜は昨日から一気に咲きました。
この写真は娘から。 勤め先の幼稚園の園舎から見た桜だそうです。
この週末は、お花見で賑わうことでしょう!
でもゆっくりお花見する時間がありません。
アメリカ「感謝と賛美とリバイバルキャンプ」の出発は来週月曜です。
そして・・・帰国する来週末には桜も散ってしまうことでしょう!
せめて聖日礼拝では、やすらぎ歌集10集の「桜」を賛美し、桜を愛でたいと思います。

2013年3月20日水曜日

桜咲く

とうとう桜のつぼみが開花しました。
我が家の庭からも大きな桜の木が見えます。
写メをとりましたが、どうしたことか・・・その写真がパソコンに送れません。

昨日あざみ野礼拝に行ったとき、あざみ野のカリタス通りや劇団四季研究所に桜を見に行きましたが、ほんのり咲き始め!という感じでした。今週末あたり、満開でさぞきれいなことでしょう(*^_^*)
来週は「感謝と賛美とリバイバルキャンプ」でアメリカに行くのであざみ野には行けません。
あざみ野のカリタス通りの桜を見ることができず・・・ちょっぴり残念です。



2013年3月18日月曜日

公園

教会礼拝場所である、
技能文化会館前の大通り公園も春らしくなってきました。
人々も暖かな日差しに誘われて、公園に集まってきます。
いよいよ路上ライブの季節です。心からの賛美を!捧げます。
聞いてください。
 

2013年3月16日土曜日

いよいよ桜開花

 
友達が今日、小石川植物園に行ったところ、
しだれ桜が八分咲き、他の桜もつぼみの先が赤くなって・・・
開花間近だったとのこと。
 
去年、横浜大岡川を船でお花見クルージングした時の写真です。
最高でした。
今年も行ってみたいなぁ(*^_^*)

 
「大岡川お花見クルーズ」は桜木町から黄金町にかけての大岡川堤の桜並木を小さな船で30分ぐらい楽しめます。確か2000円でした。わたしは山下公園近くの大桟橋から乗船しましたが、ピア日本丸(桜木町徒歩5分)からの乗船もあるようです。

2013年3月14日木曜日

サイネリア

「サイネリヤ」の花言葉は「喜び」
卒業式シーズン、門出を祝って会場に飾られることが多いようです。
明日は娘の職場である幼稚園でも卒園式が行われます。年長児を受け持っている娘は、今年も担任として卒園児を送り出します。
どんな気持ちで送り出すのだろうか?
 きっと気になっている子もあるだろう・・・

すべてをゆだねて、巣立っていく子供たちを希望と喜びを持って送り出してほしいと思います。
そんな娘をわたしも「1年間ご苦労様でした」とねぎらってやろう思います。



2013年3月13日水曜日

桜の開花

今日はとても風の強い、しかし暖かい日でした。
春です!
福岡では10日早い桜の開花! とニュースでいってました。
わたしは・・・花粉症がひどく、目薬と内服薬でしのいでいます。

2013年3月10日日曜日

信仰

あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。
それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだ者です。
ヤコブの手紙2章16、17節

今日の東京カリスマ聖会で開かれた聖書箇所はヤコブ2:17でした。

身近な信仰者によって、わたしは内的(霊的)に、また、外的(実際的)に祝福をいただきました。
「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい」
ただただ感謝です。

深い神の愛

神さまに感謝します。
諦めてはならないことに気付かされました
願いを持つことの大切さ! その願いが、み心なら必ず聞かれると信じて、熱心に祈り、求め続けることの大切さを思わされました。
わたしは願いを持つことに対して、消極的になることがあり、またすぐに諦めてしまう癖があります。そしてなぜそれができないのか? について言い訳を考え、自ら納得するのです。
しかし、主はそんな私を哀れんでくださいました。
そして、すばらしいことをしてくださいました。
感謝します。
主は再び、「喜びと充実感」で私を満たしてくださろうとしておられます。
再び私は建て直されます。ハレルヤ!

「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。」
おとめイスラエルよ。わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。
再びあなたはタンバリンで身を飾り、喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。

神さまの深い愛を感じます。
主は決してわたしを捨て置かず、見放されません。
諦めないで、ありのままの自分を主の前に差し出していきたいと思います。
「あなたの将来には望みがある」 
そうです。わたしの将来には望みがあるのです。
わたしは再び建て直されるからです。


2013年3月7日木曜日

エリザベス・サンダースホーム 聖ステパノ学園


神奈川県大磯町に聖ステパノ学園がありますが、今日の朝日新聞・神奈川版にその学校のホールが取り上げられていました。
三菱財閥岩崎弥太郎の孫娘、沢田美喜が建てたエリザベス・サンダースホーム、沢田美喜記念館の敷地内のある学園です。

沢田美喜記念館には本人が集めたキリシタンの遺物が展示されています。
エルザベス・サンダースホームがどのようにしてできたのか、次の文章を読んでみて下さい。
私は10数年前、この話を聞いたとき心が震えました。
最近は行っていませんが、その頃は良く記念館を訪れ、沢田美喜さんを「ママちゃま」と呼ぶ館長さんからよくお話を伺いました。ステパノ学園の運動会にもお邪魔したことがあります。
写真の講堂は「海の見えるホール」で、客席からはステージ越しに相模湾の大海原が見渡せる、開放感のあるホールです。

 「ある日、美喜が電車に乗って出掛けていたところ、自分が座っていた席の上の網棚から紫の風呂敷包が自分の膝に落ちてきた。彼女は慌ててその包みを元の網棚に戻したが、その彼女の動作を見ていた公安員が、彼女を怪しんで近寄ってきた。その公安員は「その風呂敷包の中に何が入っているのか」と尋ねてきたので、すぐに彼女は、これは自分のものではなく、網棚から落ちてきたものだ、と説明したが、その公安員は闇米など闇市場で買った物ではないかと疑っていて彼女を信じようとしなかった。やがて公安員はその風呂敷地包みを開けるように命じた。驚いたことにその風呂敷包みの新聞紙の中から現われたのは黒い肌の嬰児の死体であった。公安員はますます語気を強めて、彼女に問質してきた。美喜は「私が生んだのなら、まだ嬰児なので調べてみればすぐに分かる」と言っても、その公安員は信じようとしなかった。その時、一部始終を見ていた近くのお爺さんが、それは彼女のものではないことを説明した。お爺さんは、その包みがあまりにも鮮やかな紫色であったことからその包みを置いて行った若い女性のことを覚えていた。窮地を脱した彼女はその頃から、混血児やその母親を助けるために自分がどうすべきかを考えるようになり、やがて混血児のための施設を大磯の岩崎家の別荘地に創設することを決心した。それは彼女がロンドンのドクター・バーナードス・ホームでの経験以来、18年間の心の祈りでもある。しかし彼女の前途は多難であった。岩崎久弥の長女といっても岩崎財閥は財閥解体によって分断され、久弥の岩崎庭園や彼の財産、そして大磯の弥之助の別邸も国に没収されていたからである。それでも父親から「金銭的な支援はできないが、その気持ちを大切にするように」と励まされ、彼女は大磯の地に施設をつくるために政府にも相談に出掛けて行った。しかし政府から返ってきた言葉は、嘲笑うかのような冷たい言葉であった。政府の担当官から自分達の別荘にもかかわらず「現価で買ってくれるのなら売ってもいい」と言われ、美喜は失意の内に家に帰った。それでも美喜はこうした仕打ちにも諦めることはなかった。彼女は日本での活動を諦め、今度はアメリカに出掛けて大磯の別邸を購入するための寄付活動を行なうことにした。しかしアメリカにおける寄付活動も最初は思うようには進まなかった。それは彼女が作ろうとしている混血児の施設は、米兵との関係で生まれた子供達を救うための施設であり(連合国といってもほとんど重要な都市は米兵が仕切っていた)、それはアメリカ国家の恥をさらすことにもなることからアメリカ政府としても容認できないことであった。そうした不利な状況下においても彼女は決して諦めることなくアメリカでの講演活動などを通して、施設創設の資金を貯めていった。そうした彼女の資金集めに大きな救いの手を差し伸べたのが、ジョセヒン・ベーカー女史であった。美喜が彼女と知り合うのはアメリカで講演活動をしている最中であった。ベーカーは黒人であるが故に差別され寝場所もなく困っていたところ、美喜が「それなら私の所に来て」と言って一週間ほど泊めて面倒を見た。その後ベーカーはフランスに渡って歌手として成功を修め、美喜が大磯の別邸にエリザベス・サンダース・ホームを築くことを知って、来日し、各地で数回の公演をして資金集めに協力した。」

2013年3月6日水曜日

デイサービス

白馬スネルゴイキャンプのあと、実家の上田に寄りました。
1日午後、私が実家に行くと、母は、起きて、こたつに入っていました。
「デイサービスに通えるように!」ということが私の願いであり、祈りの課題でしたが、
実家の兄夫婦もやっと賛同してくれて、3月からの入所が決まりました。
昨年、母が横浜に滞在中に「虹」というデイサービスに通えるようになっていたので、実家でも必ず通えるようになると信じて祈っていました。
「虹」は神さまが用意してくださった場所でしたが、同じような小規模な施設で15人定員の新しくできた施設が上田にも用意されていたのです。
早速一緒に見学に行ってきました。
広々とした場所に、和室の掘りごたつや、ソファのある洋間など、個々に寛げるコーナーがいくつかあって、さすが田舎は違う!と思いました。

今週から母は、そのデイサービスに通い始めました。
なかなか朝起きることができない母を気遣って、10時お迎え、もしくは午後からでも迎えに来てくれるようです。今日も昼からの利用でしたが、入浴もさせてもらい・・・特別待遇です。
母のために心を配ってくださるスタッフの皆さんに感謝です。


2013年3月4日月曜日

春一番の恵み

 
苺狩りに行った友人から、こんなに大きな苺が届きました。
春ですね!
それは大きいだけでなく、とてもおいしい苺でした。(*^_^*)
 
 

2013年3月3日日曜日

白馬スネルゴイキャンプを終えて・・・

 
白馬キャンプ中、お天気に恵まれ、暖かな日々でしたが、帰りには雨が降ったり、春一番の風が吹いたりし、帰宅がスムーズに行かなかった方々もあったのではないでしょうか?

滞在中、スマホで、ブログを立ち上げようとしても、なかなかうまくいきません。
それで、更新がすっかり遅れ、今日になってしまいました。(と書いたら、何ヶ月もかけなかったのにね! と娘に笑われてしまいました。)

初めての一人参加でしたが、お部屋のメンバーにも恵まれ、メゾネットのお部屋でくつろぐこともでき、感謝でした。
特別講師のベンジャミン師のメッセージは、はじめエペソ書から語られました。
私たちは神によって選ばれた者であり、価値のある者。
イエスの血潮によってあがなわれた者。
そして神に属している、聖霊によって証印を受けた者であり、
信じる者に働く神の優れた力! そのすべての力が与えられた。

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。(ヘブル4章12節)

わたしも主にあって大能の力によって強められたい!  必ず強められます。

3年目の映像祭もすばらしいものでした。

帰りは上田の実家に立ち寄り、母を見舞い、一泊して横浜に戻りました。