400年ほど前の2月5日、長崎で殉教した26人を記念して、毎年、長崎で聖会がもたれています。
そして、今日は祈りのツアーがあり、福岡から バスで、殉教者の足取りを追って、山本村、彼杵、大村湾、時津、西坂へと、行きました。
わたしも、昨日福岡入りし、そのツアーに参加しました。帰ったら、写真をUPします。
わたしは前日、福岡入りしました。この飛行機は羽田出発ロビーで見たハワイ行きです。
朝9時半、福岡空港に集合。祈りのバスツアーは佐賀の山本村へと出発。バスの中は、イザヤ木原牧師の篤いメッセージに耳を傾け、あっという間に山本村へ。賛美し、思い思いの場所に座り込んで祈りこみの時間です。
佐賀の山本村から、とても険しい俵坂を悶々と歩き、一月もの殉教の旅は、終わりに近づいていました。日本二十六聖人はこの「彼杵」の海岸から「時津」に向かって乗船しましたが、この時26人のリーダーであったペテロ・パプチスタ神父は、日本の宣教のため涙を流されました。
彼杵で見た白鷺と水仙です。
何年か前の殉教ツアーの時、雪が降った寒い日がありました。
わたしはその殉教ツアーには参加できませんでしたが、その時の聖会に来た時、前日に降った雪の多さに驚きました。その時のツアーに参加した方が教えてくれました。雪が舞い散る寒い中で、祈りこみをしたとき、道端に雪をかぶってもなお元気に咲き誇っている水仙の花を見て、どんなに励まされたことか!「水仙の花をぜひ探してみてほしい」!と。
それは山本村でのことだそうです。その水仙をわたしは山本村では見つけることができませんでしたが、彼杵で見つけました。「雪の中でも咲き続ける水仙の花のようでありたい!!」
「感謝と賛美」の戦士として、どんな迫害や困難にも負けないでイエス様に従っていけますように!
26人の殉教者たちは、彼杵の港から3隻の舟に乗せられて、時津に向かいました。2月4日夕方6時頃だったそうです。6人の外国人神父以外は全員、首に縄をかけられ、その縄で両手を後ろ手に縛られ、何の覆いもない3隻の舟に分乗させられたまま、凍てつくような夜の海を対岸の時津まで送られたのです。夜中11時頃、時津に着いたのですが、上陸は許されませんでした。時津はキリシタンの町だったので、暴動を恐れたからです。この夜はまさにゲッセマネでした。
朝10時前に出発した祈りのバスツアーはとても良いお天気に恵まれ、主の導きの中、到着地の西坂の丘に着きました。
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