2011年9月17日土曜日

とりなしの祈りの惠み


ぼやぼやしていたら、夜中の12時を回ってしまいました。
16日(金曜)無事、渋川から戻りました。
写真は宿舎から見た朝焼け


渋川教会のK牧師が飼っている馬のクレスト36歳です。
彼?はいつもラジオを聴いています。だから、人間の言葉も良く分かっているのです! これほんと!



第一コリント12章22節~27節から、とりなしの祈りについて、学びました。
教会のカラダであるということを実感して祈ること。眠れない夜は主が祈りを導いておられるので、ちゃんと起きて何を祈るべきかを主に聞くことが大切と語られました。
という私、16日の明け方2時過ぎ、目がさめて眠れませんでした。ザンビアとの時差はマイナス7時間なので、ザンベジ川から帰ってきて、聖会が終わり帰国の準備をしてはやめの就寝というころだったでしょうか?
「チームのみんなが熟睡できるよう祈りなさい」と言うことだったかもしれません・・・しかし、わたしは起きて祈ることを忘れていました。このことはP牧師からも教えられたことです。失敗!失敗!
第一サムエル12章19節~23節から、イスラエルの預言者として立てられていたサムエルが、イスラエルの民のため祈る責任を感じ「あなたがたのために祈るのをやめて主に罪を犯すことなどできない」と言っていること、7章13節からは、サムエルが責任をもって祈っている間は守られた事が語られました。

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