2012年5月26日土曜日

親が子の手を求めるとき 翻訳は田中邦夫さん

この本は国会図書館に勤務する田中邦夫さんが翻訳された本です。
自らも年取った両親を持つ中、介護方針に行き悩んでいる時に、アメリカ議会図書館のデータベースから見出し、クリスチャンの柴崎由良さんと分担して翻訳したものだそうです。

老人はあるシンボルに依頼して生きるものであること、
やがては安全と安心が最大の価値となること、
老人自身の望む形での介護が必ずしも最上の方法でないこと、
老人が些細なことにこだわるのは、それによって状況を支配する力を再獲得しようとする隠れた意図があることなどなど

なにより、神さまのみわざについても素晴らしいあかしが載せられている。
「マッケンナ家の詩篇」にまつわるあかし。
恍惚の淵に沈んでいると思われた母親が、息子の葬儀のとき突如として賛美歌を歌いだし、聖書のみ言葉を朗読したりするなどなど、人間と神さまとの計り知れないつながりをおもわせる。
私も読んでいて、なるほどそうだな!と思わされる事がいくつかあり、また、そういうことなんだ!と分からされる事柄があり、自分自身の心の整理も出来てきたような気がしています。

さて、母の人生のシンボルとはなんだろうか?
「親たちが一度シンボルを失うと、事実上人生に見切りを付けたことになる。」そして、「もし、親たちとの日々をもう一度体験することができるとしたなら、私は人生のシンボルにもっと敏感になるだろう。」「人生のシンボルが彼らに対してもつ意味を理解し、その理解に基づいて行動していれば、彼らにとっての意味を守り、私たちの関係は深まったであろう」「そのような理解によって、私はまた、それぞれの親の自立の不可欠のシンボルを見分けようとするだろう」とこの本には書かれています。



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